今日の話

全然今日の話じゃないです。

夏に書いたもの。7月15日の話。もう今年も終わるので、投稿しておきます。

書いて、投稿する勇気が出ず、ずっと下書きにいたもの。

雨宮まみさんが亡くなったとき、能町みね子さんの日記を読んだときも投稿しようかと思って、できなかったもの。

 

 

雨宮まみさんが亡くなって、能町みね子さんのこの日記を読んで、個人的にはすごく気持ちが分かった。多分、1年間くらい、ずっと地獄みたいな気分が断続的に襲ってくるでしょう。でも、時間が解決してくれます。私がそうだった。雨の日の夜は、まだ悲しくてなみだがでるけど、気圧のせいもあるのでしょう。そのうち、ゆっくり日常が戻ってきます。

そして、多分能町さんにとって、雨宮さんのお葬式というのは、これからもお葬式に行くたびにずっと繰り返されるのかもしれません。

nomuch.hatenablog.com

 

 

今日は祖母のお葬式でした。

祖母は去年くらいに胃がんで入院していて、一度は退院したんだけど、最近また入院していました。夏を越えるのは難しいかもと聞かされていたので、自分としては、祖母が死んだことも、お葬式の時も割と落ち着いた気持ちでいることができました。

 

最後にあったのは、今月の初めくらいで、同じ都道府県内なのに電車で2時間くらい掛かる病院へ一人で行って、炎天下で日曜日だから送迎バスも出ていなくて、2時間かけて着いた最寄駅の病院までのバスは、40分に1本とかいうそういう場所で、帰ろうかと何度も思いつつも一人で行きました。

今思うと自動的に体が動いていたような、そんな感じもする。

祖母は思ったより元気で、起き上がって少し話をして、おばあちゃんに似合うよといってサーモンピンクの冷房よけのスカーフをあげて、退院したらつけてねと言って、祖母も「退院したらつけるわね。でもこんな綺麗な色似合うかしら」というから「おばあちゃん美人だから似合うよ!」とか言って、20分くらい色々喋って帰りました。

その時はまだ、祖母がもう退院できないのを知らなくて、夜に叔母からかかってきた電話にのんきに「おばあちゃんいつ退院するのー?」とか聞いて、夏を越えられないことを知って、「お母さんから聞いてない?」と言われ、母がそういう大事なことを私に伝えないのはいつもなので、またか、と思ったけれど、あぁ、そうなのかぁと納得したところもあった。

 

それで祖母は昨日亡くなって、今日お葬式だった。

父が喪主で、生前ほとんど実家に顔を出してなくて、祖母が入院したら何回かお見舞いに行く程度で、叔母にも祖母にも呆れられていた。父が実家に行かないから、私たち家族もあまり顔を出さなくなった。だから近頃は、なんとなくいつも外野っぽい感じだったのに、こういう大事な式のときは、長男だからって理由だけで喪主になって、一番大事な席に、私たち家族が座るのがとっても皮肉で、でも合理的な制度だと思った。多分、こういう制度は腹が立つこともあるけれど、感情とか愛情とか測れないものではないので、わかりやすくていいなぁとも思いながら座っていた。

 

でもお葬式のときに考えていたのは親友のお葬式のことばかりだった。今までお葬式に行ったのは今日を合わせて多分5回くらいで、そのうち3回は祖父母、1回は大叔父、そして1回が親友のお葬式だった。他の3回は小さかったこともあって記憶があまりない。

だから、祖母のお葬式に参列しながら、親友のお葬式をずっとなぞっていた。これからも、ずっとそうなのかなぁと思った。

親友のお葬式には友達がたくさんきていて、祖母のお葬式は家族葬だった。

親友のお葬式では、ずっと、何でなのどうしてなの、という言葉が頭でいっぱいだった。祖母のお葬式は、どこか受け入れながら参加できていた。多分、周りの親族も皆そうだったと思う。

 

皆でお花を入れるときも、最期のお別れをいうときも、棺を覗くときも、骨を拾うときも、ずっと親友のお葬式が頭に流れていた。

親友が眠っている棺を覗いた瞬間や、棺に入っていたもの、出棺の時に棺をもたせてもらったこと、棺の重さ、骨になって戻ってきたとき、若いからきちんと大きな骨が残っていたこと、親友に好意を寄せていた男性2人が、親友の骨をどっちが持つかで小さく小競り合いをしていたこと、喉仏の説明、骨をもらおうかと迷って、隣にいた友達に相談したら「やめとこう」と言われて「そうだね」と火葬場を後にしたこと。葬儀場からの帰り道。夕方。

 

祖母が眠っているのを見て、周りを囲む親族を見て、「おばあちゃんはこんなにたくさんの家族を残して、ちゃんと見送る心の準備をさせてくれて、すごいなぁ」と思った。

だから泣かなかった。おばあちゃんが眠っているのは、すごく自然なことに感じた。

とても綺麗な式だった。落ち着いていて、ゆっくりしていて、親戚の子どもたちがたくさんいて、皆が穏やかで、さめざめと泣く感じ。

 

親友のお葬式は5回くらい隕石が体に落ちてきた感じがした。

どの場面でも、辛かった。眠っているのがなんでかわからなかった。

今日は親友の月命日でもある。

おばあちゃんのことは、見送れた。

親友のことは、行ってしまうのを止めることができずにいた気がする。あまりにも早かったから、会ったらいつもみたいに冗談っぽく怒りたい。「本当さー!勘弁してよ!なんでそんな急なの!」って。会えないから怒れない。また夢に出てきてほしい。

おばあちゃんはこの世からいなくなったことは、ちゃんと分かる。

でも親友の姿は未だに街で探してしまう。これじゃあ浮かばれないよね、ダメだと思っても、似た人や、よく一緒にいったところ、好きだったものを見るとどこにいるんだろうと心が勝手に探そうとしている。

これはダメなことなのかなぁ。親友が困っているなら、やめたい。やめなくちゃと思う。

 

 

大勢の人がいる通勤ラッシュの時間とか、すごくストレスになるけれど、たまに「ここにいる人たちも、私も、100年後には絶対存在しないんだ」って思うと周りがすごく愛しく感じる瞬間がある。

ちょうど今読んでいた吉本ばななさんの「アムリタ」にも似た様なことが書いてあって、そうだよなぁと思ったけれど、今日祖母が焼かれて出てきたとき、毎回人が死ぬとこういうことが行われるのはつらいなとも思った。やっぱり人が死ぬと、お葬式があって、人の形が焼かれて骨になって戻って来るのは、がつんとくるものがある。

私も死んだら焼かれるのだろうけれど、その2時間あまりはちょっと嫌だなと思った。

 

そんな日だった。

読めば出世する小説『水源』を読んでみた。

お久しぶりです!

もうすぐ更新と書いておきながら早3ヶ月ほど経過したでしょうか。

通常運転です!

書きたい題材がないと、中々キーを打つ手が進まない私ですが、久しぶりに絶対ブログを書かなくては!と思えるものに出会ったので更新です。

とある本を読み終わりました。

それがこちら。

水源―The Fountainhead

水源―The Fountainhead

 

この本は、島地勝彦さんの下記の記事を読んでから、ずーっと読んでみたかった1冊。ちなみに島地勝彦さんとは、週刊プレイボーイが100万部を発行していた時代の編集長。この方についても、いつか記事を書きたいと思っています(こう言って1年が過ぎる予感)。

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シマジ  長編つながりでもう1冊紹介しよう。アメリカの女性作家アイン・ランドが書いた『水源』だ。こちらも2段組で1000ページを超える本だから、1カ月は愉しめるだろう。

 『水源』は1943年の発表以来、700万部以上売れた大ベストセラー本で、アメリカのちょっとしたインテリなら必ず読んでいる必読書だ。物語の舞台は1920年代。「黄金の20年代」と呼ばれた米国経済の大繁栄期だ。世間になかなか認められない革新的な天才建築家の闘争と成功の物語であり、ゲーリー・クーパー主演の映画「摩天楼」の原作になった作品だ。これまた読み始めたら、途中で止められない面白さだよ。(中略)『ロンドン』と『水源』を読破すれば、人生観が変わる。おそらく顔つきまで変わるはずだ。

【78】『ロンドン』と『水源』を読めば、顔つきまで変わる(1/5ページ):nikkei BPnet 〈日経BPネット〉

 

読んだだけで顔つきまで変わる?

ってそれ最高やん?

以前はコメント欄に「2冊とも読みましたところ、会社で昇進しました。」という報告がありました。笑 今は会員登録しないと見れないのか、消えてしまったようですが。。。

まるで雑誌に載っている怪しげな数珠の宣伝のようなことを言われている小説ですが、実際に読んでみました。

1000ページ以上、2段構成。

どんな感じかというとこんな感じ↓

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右は吉本ばななさんの『アムリタ』です。ちなみに300ページ。

 

図書館で借りたので、2週間で読み切る必要がありとにかく必死でした。

毎日の通勤電車内でこの鈍器のような小説を持って開いて読み、家に帰ってからご飯を食べたらこの小説に向かう、という修行のような読書を行っていました...。

晴れて読み終わったのですが、結果としては。

 

これは、絶対読むべき。人生観は間違いなく変わる。

。。。

いや、本当なんですよ?

まず、1000ページ、2段構成という地獄のような本を読みきったことに対する自分への自信がつきます。これは結構大きい。あとは読書する力がかなりつきます。他の小説とかスイスイ読めるようになりますよ。

そして何より内容。

この小説は政治思想小説に入ると書かれていたのですが、確かにこれはアイン・ランド本人の思想が色濃く出ている本です。だから、1冊の小説を読んだというより、一人の人間の主張を聞いたような感覚になりました。

もちろん小説としても面白く、出て来る人物がとても興味深い。面白いのではなく、興味深いといった方がしっくりくる。全員、どこか「概念的」な人間ばかりでした。というよりも、人間はほとんどいなかった気もします。

 

話のあらすじは上の島地さんのところで解説されていますが、一人の建築家の成功の物語です。この建築家、ハワード・ロークというのですが、彼は自分が信じている価値観に沿って建てたいものしか建てないのです。

時代は豪華な装飾を好んでおり、イオニア式やルネッサンス様式といった過去の偉大な建物からデザインの引用をした建物が評価される中、主人公は自分の建てたいものを建て、酷評され、嘲笑されながら、まったく気にせず、お金がなくなっても自分の信念を貫きます。だから、途中建築家はできなくなって、花崗岩の発掘作業員になってしまったりします。だけど、主人公は自分が建てたくないものを建てるくらいなら、作業員の方がマシだと言うのです!なんて頑固!

読み始めは、どうして上手くやらないんだと思うのですが、読み進めていくうちに、自分の人生や周りの環境について思いを巡らせるようになります。

「私は、自分の信念を持っているのか?」と。

主人公の同窓であるピーター・キーティングという人物がいます。

彼は、作中唯一人間らしく、おそらく私たち自身です。ピーターは、建築学校を首席で卒業し、ニューヨークで一番の建築事務所に就職、そしてそこの共同経営者になり、数々の建築賞を受賞します。

一見、華やかに見えるのですが、ピーター自身はだんだんとても不安定になっていきます。

なぜなら、彼は一度も自分自身の意見を持っていないから。建築家になったのも、母に言われたから。建築事務所に就職したのも、その方が世間からすごいと思われるから。受賞した建築物も自分が建てたいものではなく、世間が望むものを建てたから。

そして、その受賞した建物の設計は、実はほとんどが主人公の力を借りて設計されたものなのです。ピーターは、主人公を憎み羨望し、何度も取り乱す場面が出てきます。

でも、結局世間からの評価を気にしてしまう。つまり自分より他人が、大衆がどう思うかを優先して人生の選択を行っているのです。

 この小説は、大衆というものがとてもバカにされています。アイン・ランド自身はロシアからの亡命者なので、ロシアの共産主義を批判する思いをもってこの小説を書いたのだと思いますが、社会福祉や他人への思いやりを強く否定しているのがひしひしと感じられる描写があるからです。

「水源」はアメリカ人の精神的な小説だと聞きましたが、この考えは確かにアメリカ的で、現代の99%対1%の争いの1%側の思想だと思いました。

 

社会的には過激な思想なんですが、これは自分の人生を生きるという意味では、忘れていたものを思い出させてくれる小説です。

「本当に自分のやりたいことをやっているか?世間の目を気にしていないか?」

 

小説の最後の方に出てくるハワード・ロークの法廷での主張はぜひ読んでほしいですが、そこは一番盛り上がるところなので、ぜひ直接読んでいただきたいので、一旦ここでは主人公が友人のゲイル・ワイナンドに自分の胸に秘めている思いを言う場面を引用します。

 

「僕が長い間、世間の人々に関してわからないことでした。彼らには自分というものがない。他人にあわせて生きている。彼らは、すでに他人が使用した中古の人生を生きている。たとえば、ピーター・キーティングです。(中略)彼の人生に自分などというものが、あったのでしょうか?他人の目から見て、立派であること......それから、名声に、賞賛に、羨望......すべてが、他人から得るものです。」

「彼らは世間のことしか関心がない。気にするのは、人の目だけです。『それは真実なのか?』と、彼らが問うことはない。彼らは、『何が真実だと世間は考えるだろうか』と問うだけです。それだけです。判断するのではなくて、反復したいだけなんだ。何かを実行するのではなくて、そうしているような印象を人に与えるだけ。創造はしない、ただ見せびらかすだけ。」(中略)

「人々がなぜ苦しむのか、幸福を求めても、なぜ幸福になれないのか、あなたも疑問を持たれたことがあったと思います。誰もが立ち止まって、自分は一度でもほんとうに自分個人の欲望を持ったことがあるのかどうか、自分自身に問うてみればいいのですよ。そうすれば、答えがわかります。そうすれば、誰にでもわかるんだ。自分の願望すべて、自分の努力すべて、自分の夢すべて、自分の野心すべて、それらのすべてが、自分自身の動機から生まれたのではないということが。全部、他人から動機を与えらえれているのです。物質的な豊かのために苦労しているのではないのですよ、実際は。(中略)つまり、自分が他人の目から見て威信があるとか、名声があるとか、そういうことのために苦労しているのです。他人からの是認が欲しいのであって、自分が自分自身を認められるかどうかなど、問題ではないのです。これでは、苦労して戦っても、その戦いの中に喜びを見出すことなど、できないではありませんか。それでは、成功してもほんとうの喜びを味わうことができません。正直に言えば、嬉しくもなんともないでしょう。『これこそ、私が望んでいることだ。近所の人間をして私を見とれさせるためにではなく、私が望むからこそ、私はこれを望むのだ』という、たった一文が言えないのですよ。」 

 ハワード・ロークは他人のために生きる人間のことを「セコンド・ハンド(中古)人間」と呼んでいます。

 

なんというか、この小説を読んでひしひしと自分が他人の目を気にしているんだなぁと思いました。結局、やはり人間は他人からの評価が怖くて、そして他人からの評価が欲しくて生きてしまう。でも、それでは本当の幸福なんてものは手に入らないんでしょうね。

私が思ったの、ピーター・キーティングこそが唯一の小説の中の人間でした。ピーターはおそらく、大衆の化身なのだと思います。彼は矮小で、とても素直でした。気さくで頭が良くて、美しくて、そして世間の目ばかりを気にしていた。

彼がこの小説を通してどうなっていくかを見ていると、とても辛い気持ちになります。でも、それは彼がいつだって「世間のため」に自分の人生を生きて来たからなのでしょう。

 

『水源』という小説は、リアリスティックなのに、どこか空想的で、無機質なのに、人間的、人間の矮小さや弱さ、愚かさを書いているのに、どこまでも人間の高潔さ強さ、賢さの可能性を見せる、この小説自身が一つの建築物のようでした。

 

とても長いのですが、夏休みにぜひ読んでみてください。

読書力も飛躍的に伸びますが、それ以上に、この小説は自分の生き方をもう一度、根本から考えさせてくれる小説です。

何度も立ち止まって問わないと、私たちは世間のために生きる思考になっています。

ニュースを見る時間やフェイスブックを見る時間を、この本を読む時間にあててみてください。そうすることでも、自分の人生を生きることになると思います。

 

それでは、久しぶりの更新でした。

読書スピードが上がったので、次回は早めに戻ってきたいと思います。(願望)

メルカリトラブルを防ぐ3つの習慣

またまたメルカリです。

分析しがいのあるアプリのため、連続で記事が続いております。

メルカリブログにはならないのでご安心を(多分)。

 

さて、別名フリマ界の西成区メルカリ(ひどい)で、私が行っているトラブル予防の習慣をお伝えいたします。

 

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メルカリを利用すると本が安く買えすぎる件

メルカリ始めました。(冷やし中華的な)

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もともと数人の友達から、「メルカリ良いよ!」と聞き、登録だけはしていました。が、まったく利用せず。幾度のポイント贈呈を無視し、やっとこさ最近利用し始めたのですが。。。

 

利用してみた感想としては、

 

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一枚のシャツを買う勇気 -マーガレット・ハウエル編-

この頃、まぁなんというか松浦弥太郎さんに傾倒している。ついでに伊丹十三さんにも須賀敦子さんにも傾倒している。

それが悪いことか良いことかはわからない。現段階では、自分としては中々良い方向へ進んでいるなとは思っている。遅ればせながら、大人に近づいていると感じている。

 

 

松浦弥太郎さんを読んでいて思うのは、自分で決めた軸を守る強さだ。松浦さんの語る話は、いつだって理想的で、清潔で簡素で難しい。松浦さんが言及していたから伊丹十三さんも読んでいる。とにかく面白い。50年前だなんて、つい最近じゃないと思うほどに。

彼らから感じるのは、柔軟なダンディズムとでもいうか、アクの強さはないけれど、芯の強い男のこだわりを感じる。これはとても羨ましい。

私は女だから、ダンディズムに強く憧れるけれど、どうやったってそれは女のものにはならないと分かる。男性のみにある美的感覚というか、文化だと思う。

 

けれど見習えるところだっていくつかあって、松浦さんの一つ一つのものにストーリーを付けることは、誰にでもできるのでないかと感じている。それが男性特有の、女性から見れば「意味あるの?」と問いかけたくなるようなこだわりだったとしても、まだ若造の女が真似したところで、笑い話くらいの価値にはなるのではないかと思う。

 

松浦さんが掲げる「トラディショナル、上質、ベーシック」、これを私も軸にしたい、とこの頃思っている。そのためにはまず、着るものからだろうと考えた。

そんなこんなで、本日清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちでマーガレットハウエルの白いシャツを購入したのである。

 

シャツを買うのに、こんなに汗をかくなんて、もう今後ないのではないだろうか。緊張したし、シャツにこんな大枚を(私の中では)はたくのは初めてだった。まず、シャツを買いに行くために何度か家で服を着替えた。あーでもない、こーでもない、コーデもない、なんつって(言わずにはいられない…)、鏡の前でシャツを買うためにぐるぐる悩んだのである。笑止。

そしてやっと着替えたけれど、なんだか手持ちの服ではどうも滑稽な格好にしかならず仕方ないけれどまぁ清潔感はあるかとその服装で行った。行くしかなかった。

梅田に着く頃には「もうイヤだ帰りたい」とも思った。シャツを買うのにこんなに勇気がいる自分を恥じた。

けれども梅田へ着いては仕方ない。足の流れるままに、まず、ルクアイーレへ行って、そのままスムーズに買おうと思ったのである。以前から、マーガレット・ハウエルがあるなと思っていたのだ。案内板を見て、8階にある、と確認してからエスカレーターで登ったのは良いのだが、マーガレット・ハウエルはメンズフロアにあった。しかも、店員は男性のみ。「これはいかん」と危機的信号が鳴り、そのまま9階の蔦屋書店へ直行。「ここはメンズのみですか?」を聞く勇気もないのだよ、私には。

蔦屋書店をうろうろしても、別に欲しい本なんかない。ただ洋酒天国のエッセイはちょっと面白そう、と思ったが、私が欲しいのはマーガレット・ハウエルのシャツなのだ。仕方なくスマホで店舗を調べると、阪急うめだにある。さすが我らが阪急うめだ。信じてたよ。しかも4階にある。低い階にあるとは精神的にも安心だ。ありがとうございます。

早速エスカレーターを降りて、阪急うめだへ向かった。

 

阪急はやはり心の友である。

 

阪急うめだの4階についた、マーガレットハウエルは、中央のエスカレーターを降りて右手を曲がって少し行けばすぐだった。シンプルなお店の中へ入ると店員さんは一人で接客中。シャツについて尋ねると、他の人が先だったので、しばらく待つことに。もう一人の店員さんが店に戻ってきて、やっと試着できることになった。「白シャツが欲しいんです」と言って何個かだしてもらう。値段に心の中で目玉を飛び出させながら、得意のポーカーフェイスで乗り切った。店員さんは丁寧に「こちらは年中着れます、こっちの方が丈が長くて〜」と説明してくれるが正直どうでもいいのだ。私にとってマーガーレット・ハウエルのシャツを買う。これのみが今回のミッションである。

とりあえず、通年着れるという定番っぽいコットン100%の一着と、女性らしいフォルムの麻100%のシャツ、計2着試着させてもらう。試着室の中で思った以上に自分が汗をかいていて、笑った。

 

結果からいうとコットン100%を買った。そちらの方が通年着れる上に、松浦弥太郎さんもコットン100%に言及していたからだった。そして何よりそっちの方が安かった。

 

そっちの方が安かった。(大事なことだから)

 

マーガーレット・ハウエルの店員さんは皆透明感のある美人だった。目元は派手ではないのに、まつ毛が濃く、口元ははっきりとした色で、肌もナチュラル仕様の美人だった。まさに抱いていたマーガーレット・ハウエルのイメージそのもの。

 挙動不審の私にも、丁寧に接客していただいた。

 

かくしてついに私はマーガレットハウエルの白いシャツを手に入れた。

高かった。正直シャツ一枚にこんな大枚を...と思った。なぜこんなに勇気が必要なのか、なぜ人は高い買い物をするときにこんなにも勇気がいるのか、といつものごとく哲学的思索に入りそうにもなったし実際入った。ちなみに答えはでなかった。(いつも通り)

 

けれどマーガーレット・ハウエルの紙袋は誇らしい。それを持っているだけで、自意識過剰な私でも、オシャレスポットへの免罪符を手に入れたような気分になった。そのあと、タリーズへ行こうと阪急を登ったが、9階のてづくり市へ目がいき、思わず立ち寄った。しかし、そこはまだ難易度が高かった。マーガーレット・ハウエルの紙袋を持ってしても、ハンドメイドのおしゃれショップ市場には近づけなかった。むしろマーガーレット・ハウエルを持っていることが滑稽に思えるくらいだ。「まだマーガレット・ハウエル?今時はてづくりのシャツでしょ笑」と笑われている気がした(気のせいです)。そして高い。高いのには訳があるのも、作家の方がそれで食べていくためなのもわかっている。でも、買えない自分が覗いてもいいのだろうかとまた自意識が暴れるのである。結果、そそくさとタリーズにもいかずエスカレーターを降りた。いい加減、この自意識と和解せよ。

 

そして帰りは金券ショップで安く切符を買った。

マーガレット・ハウエルで白シャツ一枚にお金を掛けたくせに、金券ショップで安く電車の切符を買うなんて、これが伊丹十三さんの軽蔑する「ミドル・クラス」ということだなぁとも強く思ったが、たかが10円を笑うものは10円に泣くのだという妙な正当化を自分に言い聞かせ、金券ショップへ向かった。結果、通常買うより20円安かった。「ミドル・クラス」でも全然良いです。定価で切符は買えません。

 

そんなわけで、私のクローゼットにマーガレット・ハウエルが仲間入りした。今日この日は、特別な日となりました。

私にとっては松浦弥太郎さんもびっくりの、ストーリーのある日でしたが、なんだか全然おしゃれじゃないのはなぜだろうか。

次はブルックス・ブラザーズのジャケットが欲しいのだけれど、今日のようにまた、私は七転八倒を心で繰り広げながら買うのであろう。

 

 

これも全て、自意識という名の悪魔との、戦いの所為なのである。

  

ヨーロッパ退屈日記 (新潮文庫)

ヨーロッパ退屈日記 (新潮文庫)

 

 

 伊丹十三さんはカッコイイ。読むことに関しては中高生の時がベストで、「汚れた大人では遅いのである」なんて言われているけれど、十代で読んでいたら人生は狂っていただろうから、この歳で読めてよかったと思っている。

 

シンガポールの珍名所、ハウパーヴィラで精神を削られるの巻

こんにちは!(突然の挨拶形式で始まる)

 

昨年、仕事に疲れていた私は、「そうだ、シンガポール行こう」と思い立ち、現地赴任している従兄弟のお兄ちゃんを頼り、一人日本から旅立ちました。

2日間ほど従兄弟のお兄ちゃんにお世話になり、動物園や現地のレストランへ連れて行ってもらったり、また、一人で植物園やマーライオン、ショッピング名所のオーチャード通り、レストランジャンボへと行ったり、とシンガポールを3泊5日で楽しんだのです。

 

そんな、ザ・シンガポールという名所をたくさん回った中でも、一番心に残っている場所があります。

 

それは、タイガーバームの創始者が作ったという「ハウパーヴィラ」

 

聞いたことありますか?

無料、駅から徒歩10秒、しかもめっちゃ広い。

 

こんな三拍子揃った名所、ハウパーヴィラ。

 

最高に精神を削られます。

いや、ほんと...。

 

私がハウパーヴィラへ行こうと思ったきっかけはフリーアナウンサー中野美奈子さんのブログがきっかけです。

 

blog.excite.co.jp

そしてNAVERまとめの下記の記事で、興味が湧いて行きました。

matome.naver.jp

なんか上の写真でも不穏な空気を感じますね?

以下、私が撮った写真と共に、ハウパーヴィラを紹介していきます。

 

ハイパーヴィラは、先ほども言ったように、タイガーバームという万能薬で大儲けした兄弟が中国の神話をモチーフに作ったテーマパークです。もともとは弟のためにお兄さんが作ったもの。現在は広く知ってもらうため、無料開放しています。

 

ちなみに、ピンポイントの写真ばかりなので、ダイジェスト風にお送りいたします。

園内全体は、実際に行ってからご覧ください。

※かなり精神が削られます。ご注意ください。

 

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