私が江戸を好きな理由(ワケ)

実生活での知り合いの人は、ご存知の方もいるかもしれませんが、私は江戸時代というものが大好きです。特段知識が豊富という訳でもありませんが、小さなうんちくなどはたまに喋っています。

日本の歴史は、古代、中世、近世とどの時代も魅力的なものが多いですよね。平安時代は安倍清明がいたし、鎌倉時代や戦国時代は様々な武将が活躍してたくさんのドラマがありました。幕末だってとても素敵。素敵すぎて幕末ものの物語などを読むと、どうしても胸がきゅーっと切なく苦しくなります。笑

ただ、私が江戸時代を好きなのは、「物語」としてではなく、「時代」としてです。

 

どうして好きなのか、と言われると迷ってしまう。昔から好きだった記憶があります。割と意識したのは、大学時代に下記の本を読んでからでしょうか。

 

 

 

江戸の本づくし (平凡社新書)

江戸の本づくし (平凡社新書)

 

 

面白くて面白くて、「江戸時代ってやっぱりすごい!」と思ったのを覚えています。上記の本の内容は、江戸時代に読まれた「黄表紙」という風刺物語の解説が書かれた本。一枚のページに滑稽な物語が書かれているのですが、そこに書かれた絵に隠された風刺を読み解いて楽しむ「黄表紙」。その遊び心満載で、教養にあふれた本を庶民が多く楽しんでいたと聞いて、とても驚いたのを覚えています。

黄表紙に隠された風刺は、ちょっと考えたくらいじゃ現代の私にはわからないけれど、滑稽な物語に実はこれこれこういうものが隠されて、と解説を読むだけでもそれがまた楽しくて「へぇー!なるほど!」と膝を打つばかりでした。

 

そこから「江戸時代の人ってこんなものを楽しんでしたのか。素敵だなぁ」と思い、大学四回生の時に受けた江戸文学の授業でさらに好きになりました。怪談文学についてで、それは長くなるのでまた別の機会にじっくり書きたいのですが、私が江戸を好きな理由をさらに作ってくれたのが、杉浦日向子さんです。

 

杉浦さんは漫画家で、そして江戸時代の風俗研究家として数々のエッセイや本を出されています。この本など、以前は良く本屋に並んでいたので見た事がある方もいるかもしれません。

 

 

一日江戸人 (新潮文庫)

一日江戸人 (新潮文庫)

 

 

お江戸でござる」が大好きだった私は、杉浦さんの本を数冊読んだあとに、解説を担当されていたと知りました。小さいころから、まんまと杉浦さんの江戸惚れに触れて、いつの間にか私もすっかり江戸に惚れてしまっていたのです。杉浦さんが書かれる江戸の人は、とても魅力的です。でもそれって強い魅力ではないんです。

私が大好きな、杉浦さんが江戸の人について現した言葉があります。

 

それが、「うつくしく、やさしく、おろかなり」です。

 

こんなにも昔の日本人を素敵に表現した言葉ってないんじゃないかと思います。うつくしくて、やさしくて、おろかだった私たちのご先祖様。私はとても素敵な響きだなぁと思いました。

この最後の「おろか」という言葉が特に私には一番心に響きました。「おろか」とは決して馬鹿にしている言葉ではありません。ここでいう「おろか」とは、もっと美しくて優しくて、切ない響きを持っている気がします。

つよくも、ゆたかでも、かしこくもなかった頃のわたくしたちの国に、うつくしく、やさしく、おろかな人々が暮らしていた。しんじられないかもしれない。けれどそれはほんとうのこと。そして、きっと、ああ、そうだったのかもしれない。たぶん、そうだったのだ、とわかる。

 これは、杉浦さんの著書『うつくしく、やさしく、おろかなり 私の惚れた「江戸」』という本に書かれている一節です。

 

 

うつくしく、やさしく、おろかなり―私の惚れた「江戸」 (ちくま文庫)

うつくしく、やさしく、おろかなり―私の惚れた「江戸」 (ちくま文庫)

 

 近頃はニュースなんか見ていると日本人、ちょっと頑張りすぎているなぁと思うことが日々あります。やらなくていい仕事をして、悩まなくていいことに悩んで、私自身も、仕事や悩みに忙殺されて、抜け殻になりそうな時もあります。

 

でもそういう時に、ふっと江戸時代の人のことを考えるんです。

 

江戸時代って、別に皆楽しく遊んで暮らしていたわけじゃありませんよ。今の時代より、何倍も過酷な生活だったと思います。水洗トイレも高度な医療も無い、助かったはずの命は助からなかっただろうし、自然災害も何度もありました。火事は何度も江戸を焼き尽くしたし、コレラが大流行りしても治す薬もなかったはず。冬は暖房が無いから、蒲団に包まったまま朝には凍死していた人もいたそうです。

そんな過酷な時代だったけれど、江戸時代の人はとても楽しそうです。それはきっと辛いことが何度も起きた後の「諦め」を越えた生き方をしていたからじゃないのかと思います。

江戸時代の人の考えに「人間一生糞袋」という言葉があります。どうせ生まれて死ぬまで、糞袋なんだから、せっかくなら難しいこと考えずに人生を楽しもう、そういう気持ちがあったみたいです。だから、江戸時代ってすごく娯楽が多いんですよ。歌舞伎も人形浄瑠璃も落語も、俳句も、花見も、花火も、お祭りも、十五夜も、お正月も、怪談話だって、江戸時代の人はとにかくなんでも楽しみました。

270年間、戦争がなかったのも大きいと思います。暇だったんでしょうね笑

だからものすごい遊びも生まれていました。

それが「枯れた野を見にいく遊び」。

これ、花見と一緒です。でも枯れている野を見て、その枯れ具合を楽しんだそうです。笑

・・・一体何が楽しいんだ。(ちなみにこれは男の人の遊びだったようです。笑 当時は女の人にも「何が楽しんだか」と言われていたとか。時代は変わっても男女は一緒ですね。)

でもきっと江戸時代の人はそこにさえ楽しみを見出したんだと思います。こういう姿勢を、私はすごく見習いたいなぁと思うんです。

江戸時代に行きたいか?って言われると「行ってはみたい」ですが、現代が一番です。それは杉浦さんも言っているんですが、理由は分かる気がします。江戸時代が好きなのは「自分が生きている現在を遊び楽しみ尽くす方法」を江戸時代の人々が知っていたから。

江戸を知れば知るほど、「現代を楽しもう」という気持ちが湧いてくるのです。

 

それに江戸時代の人はふわっと楽しんでいたわけでもなく、とても頭が良いという印象。ここでいう頭の良さは勉強ができるということよりも「合理的」にものを考えられたということです。

「合理的」にモノを考えながら、それを超えて「虚無」、つまり「嘘」「嘘」として楽しむ、そういう心で生きていた江戸時代の人々はとてもかっこいいなとも思います。

 

それは美しい「見栄」にもなります。「宵越しの銭はもたねぇ!」とは江戸の美学ですが、これは持ちたくても持てなかったんですね。でもそれを「宵越しの銭はもたねぇ主義なんだ」と見栄をはる。「もたないんじゃなくて持てないんでしょう」なんて野暮なツッコミはいれない。こういう嘘を、美学として捉える。そうすれば人生も少しはカッコよくなるんです。生き上手だなぁ、江戸人は。

つまり、皆大人なんですよね。

 

頑張りすぎずに「どうせ人間一生糞袋だ!」と肩の力を抜いて、日々の人生を楽しむことが大事だと思うのです。それが難しくなってきた世の中ですが、私たちは江戸時代の末裔。サボりたくてサボりたくて仕方がなかった人たちの末裔です。笑

のんべんくらりと生きたいなぁと思う今日この頃です。

 

なんだか此の頃は皆が皆、正義感に燃えていたり、国を憂いていたりして、苦しいなぁと思うことがあります。「無責任な生き方」って庶民の特権だと思うんですけどね。まぁ私もなかなか「無責任」になれないところが大きいんですが。

 

ちなみに現代は江戸時代に一番精神構造が近い時代だそうです。

今年は戦後70年でしたね。このままあと210年間、戦争が起こらず、江戸時代を超えた時代が来て、奇想天外な遊びが日本で生まれてくれないかと期待しています。

現在もゲームやアニメや娯楽に優秀なのは、江戸時代のDNAなんだろうなぁと思います笑

 

まぁ、そんなこんなで、私がやたらと「江戸!江戸!」と言っている理由が伝われば幸いです。

杉浦さんの『うつくしく、やさしく、おろかなり』に下記の記述があります。ここがとても素敵なので、是非読んでいただきたいです。

 なんのために生まれて来たのだろう。そんなことを詮索するほど人間はえらくない。三百年も生きれば、すこしはものが解ってくるのだろうけれど、解らせると都合が悪いのか、天命は百年を超えぬよう設定されているらしい。なんのためでもいい。とりあえず生まれて来たから、いまの生があり、そのうちの死がある。それだけのことだ。綺堂の江戸を読むと、いつもそう思う。

 うつくしく、やさしく、おろかなり。そんな時代がかつてあり、人々がいた。そう昔のことでない。わたしたちの記憶の底に、いまも眠っている。

 江戸の昔が懐かしい、あの時代は良かった、とは、わたしたちの圧倒的優位を示す、奢った、おざなりの評価だ。そんな目に江戸は映りやしない。

 私がなぜ江戸に魅せられてやまぬのかを、人に語るのはむずかしい。惚れた男が、相馬の金さんのようなやつだった場合、親きょうだいに、かれをなんと説明したら良いのか。それと同じ気持ちだ。

 いい若いもんで、ぶらぶら暇をもて余している。とくに仕事はない。たまに友達とゆすりたかりをする。ちょくちょく呑んで暴れるけれど、喧嘩は弱い。でもかあいい。なによりだれよりかけがえないのだよ。

 私が惚れだ「江戸」も、有り体に言えば、そういうやつだ。 

 江戸ってこういうやつなんです。

どうですか、仕方のない、愛しいやつだと、思いませんか。

 

著者の杉浦さんは、すでにお亡くなりになっています。

ガンで亡くなられたのですが、長年解説を担当されていた「お江戸でござる」を降板された時「長年の夢だった世界一周旅行に出る」と言っていたそうです。もちろん、それは嘘で、亡くなってから病気が公表されました。

江戸時代に惚れた彼女は、だれよりも「粋」な人だったのだと、これだけでも伝わりますよね。

 

疲れたらサボりましょう。

私たちはサボり上手、遊び上手の、江戸時代に生きた人々の末裔なんですから。

人間一生糞袋、悩んだら、江戸時代を訪ねてみるのもいいと思います。

江戸時代はいつでも寄れる、「現代の隣町」です。

 

 

お江戸でござる (新潮文庫)

お江戸でござる (新潮文庫)

 

 

うつくしく、やさしく、おろかなり―私の惚れた「江戸」

うつくしく、やさしく、おろかなり―私の惚れた「江戸」

 

 私が持っているのはこちらの単行本の方。なんだか杉浦さんのこの本が一番好きなので、単行本で持ちたくて買ってしまいました。

 

 

日本がもっともっと江戸時代の時のように、いろんなものを楽しめるようになればいいなぁと思います。

現代の日本は、つよく、そしてゆたかです。

でも、うつくしく、やさしく、おろかな面も、もう少し思い出してもいいんじゃないかなぁと、日々のニュースを見て、考えてしまいます。

 

江戸時代って、私は掛け替えのない日本の財産だと思っています。

みなさんも興味がわいたら、隣町の江戸まで、どうぞ足を伸ばしてみてください。

 

江戸へようこそ (ちくま文庫)

江戸へようこそ (ちくま文庫)