ユーモアとは、<「にもかかわらず」笑うこと>

 

以前池上彰さんが、新聞を読みなれていない人は、一面にあるコラム欄だけでも読むといい、とおっしゃっていました。

 

朝日であれば「天声人語」、読売であれば「編集手帳」、一面の左下の方にある、小さなコラム欄のところです。

ここのコラム欄は、その新聞社の中で一番文章が上手い人、エース記者が書く欄だから、とのことでした。

 

それを聞いてから、この欄だけはなんとなくですが、いつも目を通すようにしています。私の家は読売を取っているのですが、この「編集手帳」欄、最初の方の書き出しから最後へのオチがとても上手く書かれている「なるほどなぁ」「うまい!」となる日の記事もあれば、「今日は無理やりだな」「他に書くことなかったんかい」なんて記事の日もあったり。笑

また、こんな小さな記事の中に信じられないくらい教養がちりばめられている時もあり、読む時はとても勉強になるし、密かにどんなオチに繋げるのか、といつも楽しみにしています。

 

その「編集手帳」の中でたったひとつ、ずっと切り取って持っているものがあります。

 

今日改めて見たらもう5年以上も前!

部屋の壁にずっと貼っていて、たまに見返すのですが、今見ても新鮮な気持ちで読めるものです。

 

 

その「編集手帳」の書き出しは、

ユーモアとは、<「にもかかわらず」笑うこと>だという。

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ここに改めて書き起こしてみます。

ユーモアとは、<「にもかかわらず」笑うこと>だという。ドイツの哲学者、アルフォンス・デーケン氏が著書に書いていた。つらいことがあり、苦しいことがあり、にもかかわらず笑うことだ、と。

フランスの作家、ジュール・ルナールも<ユーモリストとは不機嫌を上機嫌にぶちまける人のことである>と語っているところをみれば、ユーモアとはきっと、涙や冷や汗を養分にして咲く花のようなものなのだろう。

「にもかかわらず」にも限界はある。児童の自殺、尖閣北朝鮮...ユーモアの花も咲かせようがない出来事がつづく。咲かせようとして、しくじり、閣僚をやめた人もいる。世の中には笑い欠乏症に感染しつつあるようである。

サンタクロースに世界共通の笑い方があるとは知らなかった。「ホッホッホー」というらしい。本紙の東京版が福祉施設などを訪問するボランティア向けに開かれた”サンタらしさを学ぶ勉強会”の模様を伝えていた。

おなじみの衣装に白いヒゲ、正調サンタ笑いの聞こえてきそうな写真が添えてある。小さな記事に心惹かれるのも時世ゆえか。こんなに笑いの恋しい冬もない。(2010.11.26)

そういえば、笑わせようとして言った発言で閣僚やめた方いましたね。もう名前も忘れてしまったのですが...。

そして5年も前の記事ですが、今日の記事かと思うくらい情勢も一緒ですね。

結局、世の中は悩みは尽きないし、国同士は緊迫しているし、政治家は失言して辞めるしで、変わらないんだなぁと思います。

 

今年は年が明けてから怒涛のニュース、いいことばかりではないものも多いですが、この「にもかかわらず」笑う、という精神で、生きていきたいものです。

 

にしてもやっぱりこの欄の人、文章うまいなぁ。

自分で書き起こしてみて、改めて実感しますね。

 

今日のコラム欄、まだ読んでませんが、多分あの日のことが書いてあるのでしょう。

辛いことは辛いままですが、それでもユーモアを忘れずに日々過ごしたいですね。

私が大好きな江戸の精神も、ここに通じるなと思います。 

 

ちなみに私はユーモアを大事にしすぎてよく失言しています。政治家にはなれませんね。

…いや、むしろそういう意味では逆に向いているのかもしれません。

 

みなさんも、機会があれば読んでみてください。

特別な記事が、ある日ふっと見つかるかもしれません。