読めば出世する小説『水源』を読んでみた。

お久しぶりです!

もうすぐ更新と書いておきながら早3ヶ月ほど経過したでしょうか。

通常運転です!

書きたい題材がないと、中々キーを打つ手が進まない私ですが、久しぶりに絶対ブログを書かなくては!と思えるものに出会ったので更新です。

とある本を読み終わりました。

それがこちら。

水源―The Fountainhead

水源―The Fountainhead

 

この本は、島地勝彦さんの下記の記事を読んでから、ずーっと読んでみたかった1冊。ちなみに島地勝彦さんとは、週刊プレイボーイが100万部を発行していた時代の編集長。この方についても、いつか記事を書きたいと思っています(こう言って1年が過ぎる予感)。

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シマジ  長編つながりでもう1冊紹介しよう。アメリカの女性作家アイン・ランドが書いた『水源』だ。こちらも2段組で1000ページを超える本だから、1カ月は愉しめるだろう。

 『水源』は1943年の発表以来、700万部以上売れた大ベストセラー本で、アメリカのちょっとしたインテリなら必ず読んでいる必読書だ。物語の舞台は1920年代。「黄金の20年代」と呼ばれた米国経済の大繁栄期だ。世間になかなか認められない革新的な天才建築家の闘争と成功の物語であり、ゲーリー・クーパー主演の映画「摩天楼」の原作になった作品だ。これまた読み始めたら、途中で止められない面白さだよ。(中略)『ロンドン』と『水源』を読破すれば、人生観が変わる。おそらく顔つきまで変わるはずだ。

【78】『ロンドン』と『水源』を読めば、顔つきまで変わる(1/5ページ):nikkei BPnet 〈日経BPネット〉

 

読んだだけで顔つきまで変わる?

ってそれ最高やん?

以前はコメント欄に「2冊とも読みましたところ、会社で昇進しました。」という報告がありました。笑 今は会員登録しないと見れないのか、消えてしまったようですが。。。

まるで雑誌に載っている怪しげな数珠の宣伝のようなことを言われている小説ですが、実際に読んでみました。

1000ページ以上、2段構成。

どんな感じかというとこんな感じ↓

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右は吉本ばななさんの『アムリタ』です。ちなみに300ページ。

 

図書館で借りたので、2週間で読み切る必要がありとにかく必死でした。

毎日の通勤電車内でこの鈍器のような小説を持って開いて読み、家に帰ってからご飯を食べたらこの小説に向かう、という修行のような読書を行っていました...。

晴れて読み終わったのですが、結果としては。

 

これは、絶対読むべき。人生観は間違いなく変わる。

。。。

いや、本当なんですよ?

まず、1000ページ、2段構成という地獄のような本を読みきったことに対する自分への自信がつきます。これは結構大きい。あとは読書する力がかなりつきます。他の小説とかスイスイ読めるようになりますよ。

そして何より内容。

この小説は政治思想小説に入ると書かれていたのですが、確かにこれはアイン・ランド本人の思想が色濃く出ている本です。だから、1冊の小説を読んだというより、一人の人間の主張を聞いたような感覚になりました。

もちろん小説としても面白く、出て来る人物がとても興味深い。面白いのではなく、興味深いといった方がしっくりくる。全員、どこか「概念的」な人間ばかりでした。というよりも、人間はほとんどいなかった気もします。

 

話のあらすじは上の島地さんのところで解説されていますが、一人の建築家の成功の物語です。この建築家、ハワード・ロークというのですが、彼は自分が信じている価値観に沿って建てたいものしか建てないのです。

時代は豪華な装飾を好んでおり、イオニア式やルネッサンス様式といった過去の偉大な建物からデザインの引用をした建物が評価される中、主人公は自分の建てたいものを建て、酷評され、嘲笑されながら、まったく気にせず、お金がなくなっても自分の信念を貫きます。だから、途中建築家はできなくなって、花崗岩の発掘作業員になってしまったりします。だけど、主人公は自分が建てたくないものを建てるくらいなら、作業員の方がマシだと言うのです!なんて頑固!

読み始めは、どうして上手くやらないんだと思うのですが、読み進めていくうちに、自分の人生や周りの環境について思いを巡らせるようになります。

「私は、自分の信念を持っているのか?」と。

主人公の同窓であるピーター・キーティングという人物がいます。

彼は、作中唯一人間らしく、おそらく私たち自身です。ピーターは、建築学校を首席で卒業し、ニューヨークで一番の建築事務所に就職、そしてそこの共同経営者になり、数々の建築賞を受賞します。

一見、華やかに見えるのですが、ピーター自身はだんだんとても不安定になっていきます。

なぜなら、彼は一度も自分自身の意見を持っていないから。建築家になったのも、母に言われたから。建築事務所に就職したのも、その方が世間からすごいと思われるから。受賞した建築物も自分が建てたいものではなく、世間が望むものを建てたから。

そして、その受賞した建物の設計は、実はほとんどが主人公の力を借りて設計されたものなのです。ピーターは、主人公を憎み羨望し、何度も取り乱す場面が出てきます。

でも、結局世間からの評価を気にしてしまう。つまり自分より他人が、大衆がどう思うかを優先して人生の選択を行っているのです。

 この小説は、大衆というものがとてもバカにされています。アイン・ランド自身はロシアからの亡命者なので、ロシアの共産主義を批判する思いをもってこの小説を書いたのだと思いますが、社会福祉や他人への思いやりを強く否定しているのがひしひしと感じられる描写があるからです。

「水源」はアメリカ人の精神的な小説だと聞きましたが、この考えは確かにアメリカ的で、現代の99%対1%の争いの1%側の思想だと思いました。

 

社会的には過激な思想なんですが、これは自分の人生を生きるという意味では、忘れていたものを思い出させてくれる小説です。

「本当に自分のやりたいことをやっているか?世間の目を気にしていないか?」

 

小説の最後の方に出てくるハワード・ロークの法廷での主張はぜひ読んでほしいですが、そこは一番盛り上がるところなので、ぜひ直接読んでいただきたいので、一旦ここでは主人公が友人のゲイル・ワイナンドに自分の胸に秘めている思いを言う場面を引用します。

 

「僕が長い間、世間の人々に関してわからないことでした。彼らには自分というものがない。他人にあわせて生きている。彼らは、すでに他人が使用した中古の人生を生きている。たとえば、ピーター・キーティングです。(中略)彼の人生に自分などというものが、あったのでしょうか?他人の目から見て、立派であること......それから、名声に、賞賛に、羨望......すべてが、他人から得るものです。」

「彼らは世間のことしか関心がない。気にするのは、人の目だけです。『それは真実なのか?』と、彼らが問うことはない。彼らは、『何が真実だと世間は考えるだろうか』と問うだけです。それだけです。判断するのではなくて、反復したいだけなんだ。何かを実行するのではなくて、そうしているような印象を人に与えるだけ。創造はしない、ただ見せびらかすだけ。」(中略)

「人々がなぜ苦しむのか、幸福を求めても、なぜ幸福になれないのか、あなたも疑問を持たれたことがあったと思います。誰もが立ち止まって、自分は一度でもほんとうに自分個人の欲望を持ったことがあるのかどうか、自分自身に問うてみればいいのですよ。そうすれば、答えがわかります。そうすれば、誰にでもわかるんだ。自分の願望すべて、自分の努力すべて、自分の夢すべて、自分の野心すべて、それらのすべてが、自分自身の動機から生まれたのではないということが。全部、他人から動機を与えらえれているのです。物質的な豊かのために苦労しているのではないのですよ、実際は。(中略)つまり、自分が他人の目から見て威信があるとか、名声があるとか、そういうことのために苦労しているのです。他人からの是認が欲しいのであって、自分が自分自身を認められるかどうかなど、問題ではないのです。これでは、苦労して戦っても、その戦いの中に喜びを見出すことなど、できないではありませんか。それでは、成功してもほんとうの喜びを味わうことができません。正直に言えば、嬉しくもなんともないでしょう。『これこそ、私が望んでいることだ。近所の人間をして私を見とれさせるためにではなく、私が望むからこそ、私はこれを望むのだ』という、たった一文が言えないのですよ。」 

 ハワード・ロークは他人のために生きる人間のことを「セコンド・ハンド(中古)人間」と呼んでいます。

 

なんというか、この小説を読んでひしひしと自分が他人の目を気にしているんだなぁと思いました。結局、やはり人間は他人からの評価が怖くて、そして他人からの評価が欲しくて生きてしまう。でも、それでは本当の幸福なんてものは手に入らないんでしょうね。

私が思ったの、ピーター・キーティングこそが唯一の小説の中の人間でした。ピーターはおそらく、大衆の化身なのだと思います。彼は矮小で、とても素直でした。気さくで頭が良くて、美しくて、そして世間の目ばかりを気にしていた。

彼がこの小説を通してどうなっていくかを見ていると、とても辛い気持ちになります。でも、それは彼がいつだって「世間のため」に自分の人生を生きて来たからなのでしょう。

 

『水源』という小説は、リアリスティックなのに、どこか空想的で、無機質なのに、人間的、人間の矮小さや弱さ、愚かさを書いているのに、どこまでも人間の高潔さ強さ、賢さの可能性を見せる、この小説自身が一つの建築物のようでした。

 

とても長いのですが、夏休みにぜひ読んでみてください。

読書力も飛躍的に伸びますが、それ以上に、この小説は自分の生き方をもう一度、根本から考えさせてくれる小説です。

何度も立ち止まって問わないと、私たちは世間のために生きる思考になっています。

ニュースを見る時間やフェイスブックを見る時間を、この本を読む時間にあててみてください。そうすることでも、自分の人生を生きることになると思います。

 

それでは、久しぶりの更新でした。

読書スピードが上がったので、次回は早めに戻ってきたいと思います。(願望)