今日の話

全然今日の話じゃないです。

夏に書いたもの。7月15日の話。もう今年も終わるので、投稿しておきます。

書いて、投稿する勇気が出ず、ずっと下書きにいたもの。

雨宮まみさんが亡くなったとき、能町みね子さんの日記を読んだときも投稿しようかと思って、できなかったもの。

 

 

雨宮まみさんが亡くなって、能町みね子さんのこの日記を読んで、個人的にはすごく気持ちが分かった。多分、1年間くらい、ずっと地獄みたいな気分が断続的に襲ってくるでしょう。でも、時間が解決してくれます。私がそうだった。雨の日の夜は、まだ悲しくてなみだがでるけど、気圧のせいもあるのでしょう。そのうち、ゆっくり日常が戻ってきます。

そして、多分能町さんにとって、雨宮さんのお葬式というのは、これからもお葬式に行くたびにずっと繰り返されるのかもしれません。

nomuch.hatenablog.com

 

 

今日は祖母のお葬式でした。

祖母は去年くらいに胃がんで入院していて、一度は退院したんだけど、最近また入院していました。夏を越えるのは難しいかもと聞かされていたので、自分としては、祖母が死んだことも、お葬式の時も割と落ち着いた気持ちでいることができました。

 

最後にあったのは、今月の初めくらいで、同じ都道府県内なのに電車で2時間くらい掛かる病院へ一人で行って、炎天下で日曜日だから送迎バスも出ていなくて、2時間かけて着いた最寄駅の病院までのバスは、40分に1本とかいうそういう場所で、帰ろうかと何度も思いつつも一人で行きました。

今思うと自動的に体が動いていたような、そんな感じもする。

祖母は思ったより元気で、起き上がって少し話をして、おばあちゃんに似合うよといってサーモンピンクの冷房よけのスカーフをあげて、退院したらつけてねと言って、祖母も「退院したらつけるわね。でもこんな綺麗な色似合うかしら」というから「おばあちゃん美人だから似合うよ!」とか言って、20分くらい色々喋って帰りました。

その時はまだ、祖母がもう退院できないのを知らなくて、夜に叔母からかかってきた電話にのんきに「おばあちゃんいつ退院するのー?」とか聞いて、夏を越えられないことを知って、「お母さんから聞いてない?」と言われ、母がそういう大事なことを私に伝えないのはいつもなので、またか、と思ったけれど、あぁ、そうなのかぁと納得したところもあった。

 

それで祖母は昨日亡くなって、今日お葬式だった。

父が喪主で、生前ほとんど実家に顔を出してなくて、祖母が入院したら何回かお見舞いに行く程度で、叔母にも祖母にも呆れられていた。父が実家に行かないから、私たち家族もあまり顔を出さなくなった。だから近頃は、なんとなくいつも外野っぽい感じだったのに、こういう大事な式のときは、長男だからって理由だけで喪主になって、一番大事な席に、私たち家族が座るのがとっても皮肉で、でも合理的な制度だと思った。多分、こういう制度は腹が立つこともあるけれど、感情とか愛情とか測れないものではないので、わかりやすくていいなぁとも思いながら座っていた。

 

でもお葬式のときに考えていたのは親友のお葬式のことばかりだった。今までお葬式に行ったのは今日を合わせて多分5回くらいで、そのうち3回は祖父母、1回は大叔父、そして1回が親友のお葬式だった。他の3回は小さかったこともあって記憶があまりない。

だから、祖母のお葬式に参列しながら、親友のお葬式をずっとなぞっていた。これからも、ずっとそうなのかなぁと思った。

親友のお葬式には友達がたくさんきていて、祖母のお葬式は家族葬だった。

親友のお葬式では、ずっと、何でなのどうしてなの、という言葉が頭でいっぱいだった。祖母のお葬式は、どこか受け入れながら参加できていた。多分、周りの親族も皆そうだったと思う。

 

皆でお花を入れるときも、最期のお別れをいうときも、棺を覗くときも、骨を拾うときも、ずっと親友のお葬式が頭に流れていた。

親友が眠っている棺を覗いた瞬間や、棺に入っていたもの、出棺の時に棺をもたせてもらったこと、棺の重さ、骨になって戻ってきたとき、若いからきちんと大きな骨が残っていたこと、親友に好意を寄せていた男性2人が、親友の骨をどっちが持つかで小さく小競り合いをしていたこと、喉仏の説明、骨をもらおうかと迷って、隣にいた友達に相談したら「やめとこう」と言われて「そうだね」と火葬場を後にしたこと。葬儀場からの帰り道。夕方。

 

祖母が眠っているのを見て、周りを囲む親族を見て、「おばあちゃんはこんなにたくさんの家族を残して、ちゃんと見送る心の準備をさせてくれて、すごいなぁ」と思った。

だから泣かなかった。おばあちゃんが眠っているのは、すごく自然なことに感じた。

とても綺麗な式だった。落ち着いていて、ゆっくりしていて、親戚の子どもたちがたくさんいて、皆が穏やかで、さめざめと泣く感じ。

 

親友のお葬式は5回くらい隕石が体に落ちてきた感じがした。

どの場面でも、辛かった。眠っているのがなんでかわからなかった。

今日は親友の月命日でもある。

おばあちゃんのことは、見送れた。

親友のことは、行ってしまうのを止めることができずにいた気がする。あまりにも早かったから、会ったらいつもみたいに冗談っぽく怒りたい。「本当さー!勘弁してよ!なんでそんな急なの!」って。会えないから怒れない。また夢に出てきてほしい。

おばあちゃんはこの世からいなくなったことは、ちゃんと分かる。

でも親友の姿は未だに街で探してしまう。これじゃあ浮かばれないよね、ダメだと思っても、似た人や、よく一緒にいったところ、好きだったものを見るとどこにいるんだろうと心が勝手に探そうとしている。

これはダメなことなのかなぁ。親友が困っているなら、やめたい。やめなくちゃと思う。

 

 

大勢の人がいる通勤ラッシュの時間とか、すごくストレスになるけれど、たまに「ここにいる人たちも、私も、100年後には絶対存在しないんだ」って思うと周りがすごく愛しく感じる瞬間がある。

ちょうど今読んでいた吉本ばななさんの「アムリタ」にも似た様なことが書いてあって、そうだよなぁと思ったけれど、今日祖母が焼かれて出てきたとき、毎回人が死ぬとこういうことが行われるのはつらいなとも思った。やっぱり人が死ぬと、お葬式があって、人の形が焼かれて骨になって戻って来るのは、がつんとくるものがある。

私も死んだら焼かれるのだろうけれど、その2時間あまりはちょっと嫌だなと思った。

 

そんな日だった。