政治について個人的に考えてみた 無知の知

 

先日、はてな匿名ダイアリーで下記のような記事を見まして。記事って言ってもかなり少ないので引用しますけど。

人は信頼できないが政党なら、とか政党はクソなんだけどこの政策は、とか言ってる奴は政治参加選挙限定しているクズ自分が気になるイシューがあるなら、選挙があろうがなかろうが働きかけなきゃ変わるわけ無いだろ。まともなロビー活動もせずに政治を動かせるとでも思ってるのか。議員選挙の一票だけで後は知らんぷりのくせに、政治に文句言うなよクソ共が。


選挙しか政治参加してないから駄目なんだよお前らは

 

これを読んで、政治についての漠然とした不安や、選挙さえ行けば満足していた自分もいて反省すると同時に考えてみるとゆっくりと疑問なども湧いてきた。

そして昨日大学時代の友人二人と話していて、イスラム国やいろいろ問題になっている事柄に対して、どうしたらいいんだろうねと話し合っていたのですが、結果「何もせずに日常を過ごすのが一番」となりました。その時、友人の一人が「以前の戦争前も厭世的な感覚になってたんだよ、今もそれだよね」って言っていたのですが、確かに「もう何も考えたくない、考えてもよく分からないし無駄かもね」と感じている自分がいて「厭世的になっとる!」と焦りました。それについても考えることがあり、つらつらと思ったこと書いていきます。

 

 

※今のまっさらな状態を自分への戒めも込めて、これから少しずつ勉強していくためにも好き勝手書いてみました。「お前全然わかっとらん」というのは自分が一番わかってますので、ご了承ください。あくまでこれから調べるために自分の疑問や今の状態を正直に残しておこうとしてるので。

 

ただ、実際に反省したからと言って何ができるかつらつら考えてみたんですが・・・

まったく思い浮かばない。っていうか政治活動怖いイメージしかないからしたくない。という怯えが出てきまして。

 

これ成人として、選挙権を持つ社会人としてダメだろうと思い、何かできることあるだろうと考えたんですが、「そもそも政治とは・・・」という哲学科の悪い癖が出ましてその夜は迷宮入りしました。

上記で書いているように「気になるイシュー(問題)」が私にはそもそもない。いかに自分が普段の生活にしか、いやむしろ自分の生活に関しても私的な関心にのみ意識がむいて、公共的なものにはまったく意識を向けていないかに気づかされました。

 

とりあえず活動すっかという軽いノリで行こうかと思ったけど、実際政治活動って何をすればいいの?という手探りなところからスタート。

地元議員さんの考えから聞いてみるか?とか浮かんだんですけど。投票前には各候補者のホームページや主張に目を通して地域のことをしっかり考えているなと思う人に投票したものの前の選挙で誰が通ったかも知らない( ^ω^)やばいお

 

そもそも地元議員さんの話を聞くにしても平日聞く機会ない。

街頭演説を朝のめちゃ忙しい通勤時間に駅の前でやってるけどあれ何で??

今朝も駅で議員さんがやってましたけど、お疲れ様ですと思う反面、意見聞いてもらう気あるんかいと思う。朝の1分1秒が勝負の駅前で、何故だ!!名前だけでも耳に入れてサブリミナル効果狙ってるのか!?と。

※2月10日 

調べてみたところ街頭演説はある意味「挨拶」みたいなものみたいですね。そう考えると納得。名前変えようよ。街頭演説じゃなくて「みなさん、朝の挨拶タイムの時間です!」って言ってくれると助かる。「いってらっしゃい」と言われるから「いってきまーす」って返しても良さそうですね。

 

国会中継も何で朝とかお昼なのかな。働いている人、録画してまで見ないと思う。夜に生中継したほうが絶対見る人多いのに。ニコ動でも中継したらサラリーマンだってある意味娯楽的にみるし、議員さんだって国民が見てるって思ったらまさかパネル芸とかしないでしょ。夜に国会すればある程度、サラリーマンとかだって公聴(できたよね?確か)行けると思うんだけどね。まぁ、ブラック過ぎる体制かもしれませんか。

※2月10日

検索したところ国会は夜したらいいという意見は私以外にも見かけました。国会中継については、例えば朝やったものを夜に再放送しても視聴率とれないみたいですね。だから朝のを夜に持ってくるのはテレビ局的には無理、と。でもNHKだからそこは視聴率より大事なものを優先して、というのは傲慢ですかね。まぁ、そこまでしても見る人は見るし見ない人は見ないからかな。 

 

街頭演説は、土曜日に公園とかで椅子と暖かいお茶用意してくれた方がマシや・・・でも物あげちゃいけないんだっけ?そこからして分からないからつらい。

※2月10日

やっぱり市民が自ら参加してく形で聞きに行くしかないみたいですね。ここらへんは、そういう習慣、文化がないと難しいだろうなぁ。

 

そもそも会えるんか?と思って調べてみたら(出典が知恵袋なのはお許しください)↓

そのような中で、国会議員と知り合い、色々な話が出来るポジションを作るには、後援会に入るのが一番の早道です。
もちろん、国会議員政治資金パーティーや講演会、演説会、ミニ集会などを行う場合もありますので、そこに参加すれば、集団の中の一人として、質疑を行う事は可能です。
しかし、まずその案内が来るようにならなければなりませんので、後援会への参加が必要です。


地元の国会議員と知り合う(実際に会う)には、どのような方法があります... - Yahoo!知恵袋

後援会に入る...だと!?

それお金いる?いらない?いや、絶対入りますよね??

※2月11日追記

調べてみたら、後援会はいわば政治家へ直接お金を渡すのではなく本当に選挙時に応援するとか、ビラ配りするとかの後ろ押しする団体なんですね。なんか政治家の事務所とこんがらがってました。お金はいるところもあるけれど、選挙の手伝いだけするのでもOKみたい。人手必要そうだし、いろいろな人の選挙の手伝いとかするのはありなのかな?一回後援会の食事会みたいなの手伝ったけど、選挙とか公的活動手伝ってみるのもありかもしれない。

 

というか調べるためにいろんな政党に入ってたらスパイと間違われて冷たくされそう・・・!っていうか後援会自体怪しそうだからヤダ!!(※上記参照。大丈夫だよ...)というパニックに陥るほどの私の政治アレルギーが発覚。

っていうか、なかなか会えないのね。。。

会いに行けるアイドルより、会いに行ける議員の設立を早急に望む。むしろアイドル化してしまえば?とも思ったけれど、それはそれで問題かな。

 

会える方法もあるみたいですが、そもそも会っても相談することないわ・・・と振り出しに戻る。まず「政治活動」って響きがとても自分にとってしんどい。選挙行くだけでもなぜかものすごく大それたことをした気分になる。っていうか周り聞くと行ってない子も多いね。ダメですよ、せめて最低限行って投票しないと

 

ロビー活動って響きも卑怯な根回しという間違った印象持ってました(実際はもっとしっかりした活動で印象と違いましたが日本ではこの印象が強いよね)。なんだろう、政治、議員、活動、と聞くとギラギラした汚いお金や権力の争いが浮かんで精神的につらい。

 

政治って大事なことなはずなのに、あまりにも国民にとって、というか一般市民、市井の人々にとってハードル高すぎません?っていうか今の政治体系も輸入してきた体制ですよね。ちがうっけ?

私がかなり無知なのは自覚してるんですが(というかこの記事を書いてて気づいた)でもどれくらいの人が近代日本史や政治史を学んでるんだろうか?若者が選挙に行かんのも、そりゃ関心ないよ。だって分からないんだもん、政治の歴史も選挙の歴史も、投票への効果も。一票の格差についても、どれくらいの人が考えてるのか。あれは一体どういうことなのか。関心がないから理解もないのかも、少なくとも私の場合は。

 

そもそも至極平和に選挙制度が段々広がっていった日本だから(いや、なんかいろいろ運動はあったよね。習ったよ確か。でもフランス革命とか南北戦争みたいなこと起こらず、市民が起こしたのは米騒動くらいの記憶が・・・うん、やはり恐ろしいくらい無知なことが今わかりました)有り難みがないのかな。というか、よく理解しないうちに選挙権が行き渡っていたのかなと感じました。

 

そもそもそんな知識いらないかな?いや、そんなことはないはず。

政治、と聞いて具体的に述べれる人ってどれくらいいるんだろう。あまりにも抽象概念過ぎる。というか広すぎる。

学校でだって地域だって、会社内でだって政治はあるし。

 

政治について考えるんでしょう?じゃあ尖閣諸島のこと、北方領土のこと、竹島のこと、中東のこと、アメリカのこと、というか集団自衛権のこと、戦争のこと?

全部、どうやったら解決するんだろう、一体自分に何ができるんだろう。

 

というようなことを、あろうことか夜寝る前に考えてパンクしそうになった結果「うん、国を憂うのは国会議員に任せよう!」と謎の結論に。そもそも、上記の知識はよくネットやメディアで取り沙汰される知識のみ。つまり国民の問題というより「国」としての問題のような気がしてきたから。

 

まぁ、それも加味して、地域や会社などでも組織内で「政治」という言葉が当てはまることをもう一回考えてみたら、政治っていろいろな人の意見をうまく調整することでは??と考え直しました。そして言って見れば日本の議員さんは、自分の理念もありながらも、いろいろそこまでの道を整理してくれる言わば日本国内の調整役では?と。

だから首相とか、大臣は日本の大きい部分の調整、また外の国との利害関係などの調整してくれる人だから自分はそんな大きな問題に憂う必要はない。いや少しはあるけど、憂いても国会議員なるほどの情熱もない。まずは、自分の生活をきっちり大事にしたい。

調整役って考えると、お金や軍事力や、それぞれが持ってる歴史とかをそれぞれのトップが学ぶ必要があるし、それを考慮しながら少しずつ調節していくから本音と建前が生まれるよね、と。しかも今にも崩れそうなジェンガやってる以上の神経すり減るだろうね。

 

何も考えたことない私でさえ、入り口で頭パンクしそうだから、これ渦中にいる人はそりゃ大変やろうなぁ。そんな感じで調整役かぁ、じゃあ江戸時代でいうと大岡越前的な感じかぁ、と一人で納得。ここまでまったく書物読んでなからめちゃくちゃだろうけれども。 

 

で、政治って聞くと外交、領土、戦争、資金、賄賂、疑惑というイメージなんですが、小さく考えると、大岡越前みたいに個人間の小さな揉め事を解決するように、国民がする政治活動って小さくてもええやん、と。

だから政治についてたまに語るくらいでもいいのでは?と。政治について語るとなぜか胡散臭くなるのが問題やけどね。だから普段から家庭で話したらいいと思うんですよね。家族でお父さんは自民、お母さんは民主、お兄ちゃんは共産、お姉ちゃんは社民、etcとかで議論してたら面白い家庭じゃないですか。

扇情的にさえならなければ!これ大事。どうもやっぱり思想と結びつくから難しい。

 

※2月11日追記

会社の同期で話を聞いていてとてもいいなぁと思ったのですが、お父さんとお母さんの政治的思想がとてもはっきりしている人がいます。普段は全然政治の話しないけど、家でご両親がニュースを見たり新聞を見たりしたらリビングでそのことについて話すらしいです。「選挙には絶対に行かないといけない」と言われ行かなかったらすごく怒られたりするらしいです。

支持政党が強くありすぎるのもいいとは手放しにいいとはいえないかもしれないけれど、無関心でいるよりよっぽど、その人の社会的信用は上がると思う。無関心でいることは、必ずしもマイナスにはならないけれど、いざ政治の話になった時、ネットや扇情的な書籍からの知識でなく自分で考えた自分の意見をしっかり言える人ってとても印象がプラスになります。

 

チェスというか将棋なのかな。集団自衛権がどうたらもある意味、チューニングでかなり難しいところなんですけど。そのチューニングする人を選ぶから、というか選べるし難しいけど会えるし、関われるなら少しは勉強した方がいいのかなとも思ったり。

 

でもやっぱりしんどい!

朝起きてすぐに満員電車のって、仕事して残業して帰って、生活の隙間に政治を詰め込むのしんどいですわ!どうしたらええんや!

 

例えば友達とカフェで喋ってても「ところでさ、支持政党ってどこ?」って聞けない。そこ違ったら喧嘩なるし、喧嘩になる前に二人とも支持政党ないだろうし。(2月11日追記: 多分この支持政党の違いで喧嘩になるという発想も違うのかも。政党でなく、そこを支持する理由をしっかり語れれば喧嘩になんかならないよね)

全部でどれくらい党があるのかも分からない。なんか新興宗教みたいな名前の政党そういえば多いなとか思ったり。その前に「どうした??なんか宗教入った?」ってなる。確実に。 なんかありますよね、言葉で。友達と支持政党と信仰している宗教の話はするな、的な。(※2月11日追記: 上記参照。お互いがしっかりした考えを持てていればOKですね)

 

でも書いていて思ったけど、これはある程度自分から政治へ「活動」しないといけないんですね。自らに由る、というか。ハンナ・アーレントが昔みたいに少数先鋭が、国家のために集まって会議するのが一番っていうけどそれもある意味そうかもしれない。

 

必要な意志力が多い、多すぎる。そこが、ずれがあると思うんですよね。市民と政治の。平和な証拠っていったら無責任すぎますかね?皆が自分の生活にだけ焦点あてて暮らせるっていう。まぁそんなことしてたら危ないことになってくかも、なんですが。

 

考えた結果、市民として「善く生きることを意識しながら、どんなことがあっても日常を送り続ける」ことが一番易しい政治活動かと思いました。何もせずに穏やかに過ごすという。それって意外と難しいと思うんですよね。

 

自分の仕事をしっかりする、というか。まぁ余裕があればすこーしずつ勉強して、すこーしずつ友達にも伝えてく。草の根運動。草の根ロビー活動。というわけで、こういうブログ記事書いたのも、草の根ロビー活動の一環になったかな。

 

※2月11日追記

ブログ記事書く事で、自分が「政治」というものを少しずつでも意識しようと思ったのと、そこまで大変に考えなくてもいいんだなとは思いました。自分の無知さ、そして政治は難しく考える必要はないんだということに気づけたのも収穫かな。

こうして政治について表に出すことで、ある意味これから口に出しやすくなったのは確かです。今まで怖がってたのが少し面白く感じるくらい。一旦吐き出すことで、落ち着いたというか。デモクラシー2.0という活動も教えてもらい、コメントで身近な問題を友達や周りの人と話ことも政治の一貫だよと教えてもらったり。そこまで国単位で焦って考える必要もなかった。とりあえず関心持てるようになったからそれは一歩進んだかなぁと。↓の自分よ。そういうことだ。ゆっくり、身近な問題から考えようね。

 

喫茶店でも、会社の休憩室でもいいから、すこーしずつ話したらいいのかなーと。でもやっぱりしんどいわ。絶対あやしい人やん。無理しないでおきます。ただ、ハンナ・アーレント読み返そうと思ってたところに、この匿名ダイアリーの記事、そして友人たちとの会話があったので、書き残しておきました。

 

国のこと考えるのはあまりにも大きいので、まずは日々の生活をしっかりすることにします。ひとつひとつの選択も政治活動の一種というか。水買うかお茶買うか、ジューズ買うかも無意識だけど選択してるし。そこを意識して選択することも一歩だと思います。 

日常のことを意識して選択する、でええ気がしてきた。しばらくはそうしていきます。

 

まぁ、何が起こってもパニックにならずに日常生活を送ることが国民の義務なのかなぁとも。平凡な日常を、自分たちでも守るように意識するのが一番なのかなと。

 

書いて吐き出してすっきり!皆も政治について考えて少し憂鬱になればいいよ!ブルーマンデーだしね!そもそも「政治とか興味無いし」って考えないようしても、少し罪悪感が浮かぶという罠。ブルーマンデーでめちゃくちゃ書きましたけど、読んでくれた方はありがとうございました。

 

今日の収穫は、自分の無知がわかったことですね。「無知の知」だから一歩進んだよ。

 

f:id:mariminor:20150209224930p:plain