一枚のシャツを買う勇気 -マーガレット・ハウエル編-

この頃、まぁなんというか松浦弥太郎さんに傾倒している。ついでに伊丹十三さんにも須賀敦子さんにも傾倒している。

それが悪いことか良いことかはわからない。現段階では、自分としては中々良い方向へ進んでいるなとは思っている。遅ればせながら、大人に近づいていると感じている。

 

 

松浦弥太郎さんを読んでいて思うのは、自分で決めた軸を守る強さだ。松浦さんの語る話は、いつだって理想的で、清潔で簡素で難しい。松浦さんが言及していたから伊丹十三さんも読んでいる。とにかく面白い。50年前だなんて、つい最近じゃないと思うほどに。

彼らから感じるのは、柔軟なダンディズムとでもいうか、アクの強さはないけれど、芯の強い男のこだわりを感じる。これはとても羨ましい。

私は女だから、ダンディズムに強く憧れるけれど、どうやったってそれは女のものにはならないと分かる。男性のみにある美的感覚というか、文化だと思う。

 

けれど見習えるところだっていくつかあって、松浦さんの一つ一つのものにストーリーを付けることは、誰にでもできるのでないかと感じている。それが男性特有の、女性から見れば「意味あるの?」と問いかけたくなるようなこだわりだったとしても、まだ若造の女が真似したところで、笑い話くらいの価値にはなるのではないかと思う。

 

松浦さんが掲げる「トラディショナル、上質、ベーシック」、これを私も軸にしたい、とこの頃思っている。そのためにはまず、着るものからだろうと考えた。

そんなこんなで、本日清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちでマーガレットハウエルの白いシャツを購入したのである。

 

シャツを買うのに、こんなに汗をかくなんて、もう今後ないのではないだろうか。緊張したし、シャツにこんな大枚を(私の中では)はたくのは初めてだった。まず、シャツを買いに行くために何度か家で服を着替えた。あーでもない、こーでもない、コーデもない、なんつって(言わずにはいられない…)、鏡の前でシャツを買うためにぐるぐる悩んだのである。笑止。

そしてやっと着替えたけれど、なんだか手持ちの服ではどうも滑稽な格好にしかならず仕方ないけれどまぁ清潔感はあるかとその服装で行った。行くしかなかった。

梅田に着く頃には「もうイヤだ帰りたい」とも思った。シャツを買うのにこんなに勇気がいる自分を恥じた。

けれども梅田へ着いては仕方ない。足の流れるままに、まず、ルクアイーレへ行って、そのままスムーズに買おうと思ったのである。以前から、マーガレット・ハウエルがあるなと思っていたのだ。案内板を見て、8階にある、と確認してからエスカレーターで登ったのは良いのだが、マーガレット・ハウエルはメンズフロアにあった。しかも、店員は男性のみ。「これはいかん」と危機的信号が鳴り、そのまま9階の蔦屋書店へ直行。「ここはメンズのみですか?」を聞く勇気もないのだよ、私には。

蔦屋書店をうろうろしても、別に欲しい本なんかない。ただ洋酒天国のエッセイはちょっと面白そう、と思ったが、私が欲しいのはマーガレット・ハウエルのシャツなのだ。仕方なくスマホで店舗を調べると、阪急うめだにある。さすが我らが阪急うめだ。信じてたよ。しかも4階にある。低い階にあるとは精神的にも安心だ。ありがとうございます。

早速エスカレーターを降りて、阪急うめだへ向かった。

 

阪急はやはり心の友である。

 

阪急うめだの4階についた、マーガレットハウエルは、中央のエスカレーターを降りて右手を曲がって少し行けばすぐだった。シンプルなお店の中へ入ると店員さんは一人で接客中。シャツについて尋ねると、他の人が先だったので、しばらく待つことに。もう一人の店員さんが店に戻ってきて、やっと試着できることになった。「白シャツが欲しいんです」と言って何個かだしてもらう。値段に心の中で目玉を飛び出させながら、得意のポーカーフェイスで乗り切った。店員さんは丁寧に「こちらは年中着れます、こっちの方が丈が長くて〜」と説明してくれるが正直どうでもいいのだ。私にとってマーガーレット・ハウエルのシャツを買う。これのみが今回のミッションである。

とりあえず、通年着れるという定番っぽいコットン100%の一着と、女性らしいフォルムの麻100%のシャツ、計2着試着させてもらう。試着室の中で思った以上に自分が汗をかいていて、笑った。

 

結果からいうとコットン100%を買った。そちらの方が通年着れる上に、松浦弥太郎さんもコットン100%に言及していたからだった。そして何よりそっちの方が安かった。

 

そっちの方が安かった。(大事なことだから)

 

マーガーレット・ハウエルの店員さんは皆透明感のある美人だった。目元は派手ではないのに、まつ毛が濃く、口元ははっきりとした色で、肌もナチュラル仕様の美人だった。まさに抱いていたマーガーレット・ハウエルのイメージそのもの。

 挙動不審の私にも、丁寧に接客していただいた。

 

かくしてついに私はマーガレットハウエルの白いシャツを手に入れた。

高かった。正直シャツ一枚にこんな大枚を...と思った。なぜこんなに勇気が必要なのか、なぜ人は高い買い物をするときにこんなにも勇気がいるのか、といつものごとく哲学的思索に入りそうにもなったし実際入った。ちなみに答えはでなかった。(いつも通り)

 

けれどマーガーレット・ハウエルの紙袋は誇らしい。それを持っているだけで、自意識過剰な私でも、オシャレスポットへの免罪符を手に入れたような気分になった。そのあと、タリーズへ行こうと阪急を登ったが、9階のてづくり市へ目がいき、思わず立ち寄った。しかし、そこはまだ難易度が高かった。マーガーレット・ハウエルの紙袋を持ってしても、ハンドメイドのおしゃれショップ市場には近づけなかった。むしろマーガーレット・ハウエルを持っていることが滑稽に思えるくらいだ。「まだマーガレット・ハウエル?今時はてづくりのシャツでしょ笑」と笑われている気がした(気のせいです)。そして高い。高いのには訳があるのも、作家の方がそれで食べていくためなのもわかっている。でも、買えない自分が覗いてもいいのだろうかとまた自意識が暴れるのである。結果、そそくさとタリーズにもいかずエスカレーターを降りた。いい加減、この自意識と和解せよ。

 

そして帰りは金券ショップで安く切符を買った。

マーガレット・ハウエルで白シャツ一枚にお金を掛けたくせに、金券ショップで安く電車の切符を買うなんて、これが伊丹十三さんの軽蔑する「ミドル・クラス」ということだなぁとも強く思ったが、たかが10円を笑うものは10円に泣くのだという妙な正当化を自分に言い聞かせ、金券ショップへ向かった。結果、通常買うより20円安かった。「ミドル・クラス」でも全然良いです。定価で切符は買えません。

 

そんなわけで、私のクローゼットにマーガレット・ハウエルが仲間入りした。今日この日は、特別な日となりました。

私にとっては松浦弥太郎さんもびっくりの、ストーリーのある日でしたが、なんだか全然おしゃれじゃないのはなぜだろうか。

次はブルックス・ブラザーズのジャケットが欲しいのだけれど、今日のようにまた、私は七転八倒を心で繰り広げながら買うのであろう。

 

 

これも全て、自意識という名の悪魔との、戦いの所為なのである。

  

ヨーロッパ退屈日記 (新潮文庫)

ヨーロッパ退屈日記 (新潮文庫)

 

 

 伊丹十三さんはカッコイイ。読むことに関しては中高生の時がベストで、「汚れた大人では遅いのである」なんて言われているけれど、十代で読んでいたら人生は狂っていただろうから、この歳で読めてよかったと思っている。